寺だより

2019.09.19

月輪観

秋といえば食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、いろいろな秋があると思いますが、江戸の昔に遡れば、秋といえばお月見とこたえる人が多かったのではないでしょうか。ススキと団子を供え、五穀豊穣をご先祖さまに感謝しながら、お月見をすることが何よりの楽しみだったのです。
ところで仲秋の名月といわれるように秋の月はなぜ美しいのでしょうか。秋の月が美しく見えるのは、秋は春と違って空気が乾いているので月がくっきりと見えるそうです。また、冬の月は見える位置が高いのでずっと見ていると首がつらくなります。夏は低くて空気中の塵や街の灯りにじゃまされてあまりきれいにみえないそうです。つまり、秋は眺めるにちょうどいい環境というわけですが、それだけでしょうか。秋の夜に涼風に吹かれながら丸い月を眺めていると、自分もあの月のように澄んだ美しい心でいたいと思えてきます。
月が美しくみえるのは自分の心を静かにみつめるからなのかもしれません。お大師さま(弘法大師・空海)は「我、自心を見るに形、月輪の如し」といわれ、自分の心は本来、満月のように清らかで美しく雄大であり、それは仏さまの心そのものなのだと説かれています。
映画『燃えよドラゴン』でブルースリーは「考えるな感じるんだ、月を指差しても月へはいけない。指に集中するのではなく、月そのものを感じなければ真理にはたどりつけない」と語ります。この名セリフは「満月は仏さまの心である」という仏教の教えを学んでいたからこそ生まれたのです。月が美しくみえるのは、それは満月という仏さまが私たちをひきつけているからかもしれません。

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