よく生きる という願い
人は誰もが“よく生きる”という願いをもって生まれてきます。
私たちの心のなかにある“よく生きる”という願いは祈りのなかで具体的な思いに変わっていきます。
安産の祈りでは、健やかに、おおらかに、朗らかにという思いに。
結婚の祈りでは、和やかに、穏やかに、共にという思いに。
亡き人への祈りでは、安らかに、清らかに、永久にという思いに。
人は祈ることで心のなかにある“よく生きる”という願いの種を芽吹かせることができます。
そして、思いを皆で共有することで大きな花を咲かせることができます。
宝性院の活動について
杉戸不動尊宝性院は安産不動尊をおまつりするご祈願のお寺です。
檀信徒の御魂を供養するお寺であると同時に、地域に開かれたお寺です。
ロゴマークには如意宝珠のごとく願いを叶えたい、清涼な水のごとく心を潤したい、蓮華のごとく気持ちを共有したい、との思いを込めました。
杉戸不動尊宝性院はご祈願とご供養を通して、また地域に開かれたお寺として、子どもたちの寺子屋をはじめ、さまざまな活動を行ってこの思いを実現していきたいと思います。お寺に足を運んでいただきご縁を結んでいただければ幸いです。
縁起と歴史
杉戸不動尊宝性院の開基は、永禄3年(1560年)に幸手城主の一色義直公が安産と子どもの成長を願い、安産不動明王を安置されたことに始まります。元和2年(1616年)、杉戸宿が日光道中の人馬継立の宿場として幕府から命をうけて21の宿場の5番目(千住、草加、越ケ谷、粕壁、杉戸)となると、街道沿いに位置する宝性院は道中の拠点となり、本堂などの伽藍が整備されました。
杉戸宿が日光道中の宿場として急激に発展し、天保14年(1843年)には、本陣、脇本陣のほか48軒の旅籠屋ができ、旅人、商人、農民で賑わうと、杉戸不動尊宝性院は人々の願いを託す日光道中の祈願所として信仰を集めました。
以後、宝性院は仏教行事をはじめ、寺子屋教育や旅籠屋の代務や戸籍の管理などの重要な役割を担い、明治期には一時、郡役所や小学校(杉戸学校)が置かれるなど、人々の暮らしと密接に関わってきました。
一色家の先祖は足利尊氏の家臣として活躍し、室町幕府将軍家に重用され、子孫は古河公方に仕え、幸手に城(陣屋)を構えました。一色家の家門は「丸に二つ引き」で、幸手市や杉戸町には一色家ゆかりの寺院が数多くあり、お寺の棟瓦などにはこの家紋が付けられています。