日光街道の宿場町として栄えた杉戸町の町内七つのお寺に七福神がおまつりされています。
「日光街道すぎと七福神めぐり」は、江戸の宿場の名残を残す建築や古利根川沿いの田園風景を眺めながら徒歩、自転車、車などで参拝ができ、七福神加盟店での食事や買い物も楽しめます。
お参りの仕方

七福神めぐりは正月に行い一年の幸せを祈るのがとよいといわれていますが、「日光街道すぎと七福神めぐり」は正月に限らず、どの月、どの季節でもお参りいただけます。
「日光街道すぎと七福神めぐり」では、各寺院に用意されている七福神色紙(一枚千円)を求め、ご朱印として色紙に梵字のスタンプを押して(無料)、
お参りができます。
昔から宝船が書かれた七福神の色紙を枕元に置くと、夢が叶うといわれています。
七福神めぐりの順路

順路に決まりはありません。モデルコースとして、東武日光線『杉戸高野台』駅⇔福正院⇔永福寺⇔全長寺⇔宝性院⇔来迎院⇔延命院⇔馬頭院⇔東武伊勢崎線『姫宮』駅。
徒歩の場合、2回に分けるのも一案です。
縁起のいい七福神をお祭りするお寺が点在する杉戸町。
モデルコースは、駅を起点/終点にしたウォーキングコースです。全距離は約15キロ。大人の脚で23,000歩ほどです
歩いて健康、訪ねて幸せ。
すぎとの七福神めぐりにでかけてみませんか。
各寺院と七福神各尊について

| 寺院 | 尊格 | 寺院の沿革 |
|---|---|---|
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福正院 杉戸町大字下野226 (Mapで見る) TEL048-032-0868 |
福禄寿
![]() 姿に派手さはなくても拝まれる人望の福禄寿 |
当山は薬王山宝光寺福正院と号し、本尊は薬師如来、真言宗智山派に属しております。開山は、元和八年(1622年)福正房栄叶がこのあたりに疫病が流行し死者が多いことを哀れみ薬師如来の秘法を行いました。そして満願の夜に如来が現れ、『我弘法大師奥羽遍歴の時この地で彫刻、当時村民の尊厳篤し、しかし、年を経る事久しく 我今土中にあり』と申されたそうです。そこで村民と土中を掘ったところ薬師如来の石仏が出土供養し奉ったところ疫病がおさまったと伝えられています。 又当山に安置する福禄寿は『招福』『招禄』『招寿』の三つを司る福神で手に持つ軸には人の寿命が記されているとされています。 |
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永福寺 杉戸町大字下高野396 (Mapで見る) TEL048-032-0868 |
寿老人
![]() 人の命を守る長寿の寿老人 |
当山は龍燈山永福寺と号し、本尊は阿弥陀如来様でございます。真言宗豊山派に属し、天平勝宝5年に行基菩薩様により開山されました。 当山は高野のせがき寺とも呼ばれ、約六百年の間皆様方に親しまれてまいりました。 当永福寺の寿老人は団扇、白鹿を従えております。団扇は難を払う象徴、鹿は三千年の象徴で、安全と健康を守り長寿の神として尊ばれております。 |
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全長寺 杉戸町大字高野443 (Mapで見る) TEL048-032-2032 |
布袋尊
![]() 度量が大きく福徳円満の布袋和尚 |
当山は高埜山全長寺と称し、宗派は曹洞宗(禅宗)ご本尊様は聖観世音菩薩です。 開基は、この地域を支配した幸手城主一色宮内大輔直朝の意を受け、弟の善十郎直春が一色氏の菩提を弔うために建立したと伝えられています。 境内にお祀りしています布袋尊は、恒に大きな布袋を持ち歩いていたことから、布袋様と親しまれ、七福神の中で中国唐末期の禅僧で名を契此といいます。大きいお腹を出して福々しい耳を持ち笑顔を絶やさないことから、家庭円満、家運隆盛、平和安穏の尊者といわれています。 弥勒菩薩の化身としても広く信仰されています。 |
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宝性院 杉戸町杉戸1-5-6 (Mapで見る) TEL048-032-0342 |
毘沙門天
![]() 勇気を与え、勝利と栄光をもたらす毘沙門天 |
当山は杉戸山 宝性院不動寺と号し、本尊 胎蔵界大日如来 開山は、永禄3年(1562年)徳川家から幸手庄内を賜った一色宮内大輔義直によるものです。境内には、嘉永二年九月(1849年)に再建された不動堂があり、安産不動明王、成田山不動明王、菅谷山不動明王の三体が祀られ、身上安全、安産、子育て、厄除け、開運、交通安全等祈祷されています。 毘沙門天は、インドの紙で多聞天とも呼ばれ仏法守護四天王の一人です。厳しい顔、体に七宝荘厳の鎧を着ています。この姿は、魔を除き、勇気を与えてくれ、左手に持つ宝塔は、財珍宝を湧き出させて善根を積むものに分け与え、右手に持つ宝棒は、煩悩を打ち砕きます。従いまして、厄除け、開運し無量の財福をもたらしてくれ、仏の世界を守といわれる福徳の神です。 庭園には樹齢350年もの大欅があります。 |
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来迎院 杉戸町清地1-6-16 (Mapで見る) TEL048-032-1339 |
恵比寿
![]() 心清らかで商売繁盛の恵比須 |
当山は、山号を花光山 寺号を来迎院と称し、真言宗豊山派に属し、本尊不動明王は奥州平泉の藤原基衡が仏師運慶に命じて今から800年あまり前に作られその後人々から眼病を治す不動明王として伝えられています。 又、当山に安置してあります恵比寿尊は、我国初庶民救済の神として崇敬されています。そのお姿は、神慮のこもる両手に示されています。左手に抱えている鯛は、めでたいで、その年の商売?盛、無病息災、家門繁栄、光津安全などすべてのめでたいことを授ける心を表しています。 左手の釣竿は信仰する信徒を災いや障りから離れさせ、幸せに釣り上げる、勢いを表しています。 特に、一般的には正月の恵比寿として信仰され、昔から人々に恵をもたらしてきた律儀な福の神として崇拝されています。 |
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延命院 杉戸町倉松2-2-32 (Mapで見る) TEL048-032-1779 |
弁財天
![]() 勇気を与え、勝利と栄光をもたらす毘沙門天 |
当山は、山号を倉松山 寺号を延命院と称し、真言宗豊山派に属し、本尊は延命地蔵菩薩であります。今から800年余り前、文治2年(1186年)の晩冬、南都東大寺の俊乗房重源が、大仏殿再建勧進のために関東下向の折、この地に立ち寄り、偶々松陰に地蔵尊を感得されました。その後、長亨元年(1487年)に、領主一色宮内大輔直基の帰向によって僧肴宥覚が堂宇を再建して当山を開山しました。 古来より、弁財天は、一切衆生の命の根元として(水)の霊力を神格化した女神で豊穣の神、川の神、音楽の神、財福の神として信仰されております。 七福神の中では、唯一女神で、琵琶を手にした美しい女性の姿からご本尊様の慈悲の御心をらとらえていただきたいと念願いたします。 |
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馬頭院 杉戸町堤根4254 (Mapで見る) TEL048-032-4124 |
大黒天
![]() 善人に福を授ける大黒天 |
当山は馬頭観世音菩薩を本尊とし、旦照山馬頭院と称しております。寛政年間の類焼等により、由緒、沿革不明のものが多くありますが、境内には文永7年(1270年)建立の青石塔婆があり、開山は行基菩薩(668~749年)と伝えられています。当山奉安の大黒天はインドではマハーカーラと称され、音訳では摩訶迦羅と書きます。マハーは大きい、カーラは黒なので意訳は大黒天といいます。インドでは仏法を守る神であり、財福の神として寺院の台所に祠られ、いつも黒々と磨かれていたといわれています。日本では伝教大師が8世紀に寺の安穏を祈って比叡山延暦寺の台所に祀ったのが最初です。大黒頭巾をかぶり、智慧がつまっている大きな袋を背負い、子守や財宝が出る打ち出の小槌を持って、米俵に乗っています。子孫長久、学業上達、福寿円満、五穀豊穣を祈願する福徳の神です。 米俵のまわりにはネズミがいるからでしょうか、昔は甲子(きのえね)の日にお参りする人が多く、二股大根や赤飯を供えたそうです。 |
お問い合わせ
- 日光街道すぎと
- 七福神事務局 宝性院内
- TEL.0480-32-0342
- FAX.0480-32-7035






